10通目の手紙『最初の手紙への返信ーー楽しいけれども続けられないのはどうしてか?』by 喜多川
団長さん、手紙屋ブログ読者のみなさま、こんにちは。
喜多川です。
いよいよ手紙屋ブログというこの企画も最後の一通となってしまいました。
このブログを一度でも読んでくださった方
コメントをくださった方
このブログを人に紹介してくれたり、応援してくださったすべての方
管理をしてくださったディスカヴァーのみなさん
そして、もちろん
団長さん。
すべての人に心から感謝いたします。
ありがとうございました。
最後をまかされた身としては、
言われるまでもなくビシッと決めたいのは山々なんですが、
最後の最後に僕が伝えたかったことを
団長さんにズバッと書かれてしまいました。
偶然にも最後に僕が伝えたかったことも、実は
「一所懸命にやること」
だったんです。
しかも団長さんの手紙にあった、そのあとの一言は、
いただいた十通の手紙の中で一番シビレました。
「失敗を怖れて何もしなかった、という心の傷が、
痛々しい針が心の奥深くまでグサリと刺さっているのです」
この一言に心が震えました。
さすがです、団長さん!
って感心ばかりしてないで、喜多川も何か書けって声が聞こえてきそうですね(笑)。
僕からの最後の手紙は
この手紙屋ブログを最初からずっと読んできた熱狂的ファンが
一つ気になっているであろうことに、
ちゃんと答えを出して終わりにしたいと思います。
みなさんは団長さんからの一通目の手紙を覚えていますか?
実は僕、あの一通目をいただいたときに、この企画が末恐ろしくなったんですね。
何しろ質問の内容が一通の手紙では書ききれないほど、もの凄く深いことだったんです。
こんな質問がこれから続くのかなぁと思い、気持ちを引き締め直しました(笑)。
で、その質問とは・・・
「楽しいけれども続けられないことがあると思うのですが・・・そのへんはどうでしょう?」
僕の一通目の手紙を読んでいただければわかると思うのですが、
実はこの質問に対して答えていないんですね。
僕が答えたのは、どうすれば自分にとって楽しいことと巡り会えるかであって、
楽しけれども続けられないのはどうしてかではないんです。
話の流れでその話題に触れる機会もあるだろうと、
まずはどうやって楽しいことと巡り会うかの話をさせていただいたんですが、
その後、機会がないまま最後まで来てしまいました。
というわけで、最後の十通目は
「楽しいけれども続けられないのはどうしてか」という、
一通目にいただいたお手紙へのお返事で締めさせていただきます。
最後までおつきあいください。
結論から言うと、
それは、どういう瞬間に一番楽しいと感じているか、
もしくは、どういう瞬間を期待してそれをしているのかが
人によって違うからじゃないでしょうか。
僕は口癖のように生徒たちにこう言います。
厳密に言うと「楽しいこと」なんて存在しない、
「楽しいとき」が存在するだけだ。
ここが一番伝わりにくいところなのですが・・・、
例えばサッカーが大好きな少年にとって
「サッカー」は「楽しいこと」だと思われがちです。
でも、実はそうではなく、サッカーをやっていれば楽しいときがあるだけなのです。
どんな状況のどんな人とやるサッカーであれ楽しいわけではありません。
ゲームだって、野球だって、バンド活動だって、勉強だって同じこと。
それ自体が楽しいことなのではなく、
それをやっているとやり方によっては楽しいと感じるときがあるだけなのです。
で、その楽しいときがあるから、再びそれを求めて、それに取り組もうとします。
このとき多くの人は
「人より優れている」ことが自覚できるときや
「自分が活躍できた」とき、または、
「相手に勝った」ときに楽しいと感じるんですね。
つまり、広い意味で「予想通りの結果が手に入る」ときや
「他者より優れている」のが楽しいわけで、
その瞬間を求めてその活動を続けています。
ところがこういう人は、どんなに楽しいことを続けていても
途中で続けられなくなります。
当たり前ですが、続ければ続けるほど、上には上がいるからです。
小学生のときに人より野球が上手でも、
中学生になったらもっと野球が上手な人ばかりが集まってきます。
その中で人より秀でていても、
高校生になったらもっと上手な人が現れるかもしれない。
その中でも群を抜いて上手だからといって
プロの世界では通用するかどうかすら怪しい・・・。
人より優れていることが、
自分にとって楽しいことを続けるモチベーションになっている人は、
必ず途中で止めることになってしまいます。
一方で、それをずっと続けられる人もいます。
できなかったことが自らの工夫や努力、反復練習によってできるようになる。
そのできるようになる瞬間ではなく、
工夫や努力をしているすべての瞬間が楽しくて仕方がない人です。
つまり、自分にとって楽しいときはどちらなのかによって
それを続けられるかどうかが決まってくるわけです。
「思い通りの結果が手に入ること」
「(はじめから)人より秀でていること」
この瞬間が楽しくてそれを求めている人は、
その分野を続けることも、大成することも難しく、
「思い通りに行かないことを、自分の工夫や努力で思い通りの結果に変えること」
「自分の工夫や努力で、自分にできることを増やすこと」
その過程が楽しくてたまらないという人は、それを続けて大成することができる、
というわけです。
何せ前者にとって楽しいときはいい結果が得られたとき、つまりほんの一瞬ですが、
後者にとっては工夫や努力をしているときはずっと楽しい状態が続いているわけですから、
人生の大半は楽しいときになるわけです。
どんなに自分が好きなことであっても、
続けていくうちにいろんな壁がやってきます。
予想通りの結果が得られることがだんだん少なくなっていきます。
それでもそれを続けられるかどうかは、
その人が「どんな瞬間を楽しいと感じるか」にかかっているわけです。
「努力をしないで、元々備わっている才能で
人より秀でていることをやっているときが楽しい」
といった姿勢では、どれほど今は楽しいと感じていることであっても
続けることはできません。
また、工夫や努力を積み重ねた人でも、
思い通りの結果が得られた瞬間しか楽しいと思えないというのであれば、
先ほどよりは長続きするかもしれませんが、結局は続けるのは難しくなる。
やはり大切なのは
昨日までの自分にはできなかったことをできる自分になるために、工夫や努力をする。
その工夫や努力をしているときが楽しくってたまらないという人になることだと
僕は思っています。
ああなればいいのに、こうなってくれれば楽しいのに・・・
と得られる結果によって楽しい楽しくないが左右されてしまううちは、
どんなことをやっていても人生の成功者になるのは難しい。
どんな結果でも来なさい!
それを自分で頭を使って、工夫して、努力して、何度も失敗しながらも前進して、
自分の思い通りに変えるこの過程が楽しいんだから!
そう考えて人生を生きている人は
常に人生の成功者として幸せな毎日を送っています。
まずはあなたがそう言える強さを持つことが、
せっかく見つけることができた「楽しいこと」を続けるエネルギー源になるわけです。
僕が高校3年生の頃、上京を間近に控えた僕に父がこんな話をしてくれました。
「もし、本当にすべて自分の思い通りのことしか人生で起こらなければ、
人生なんてこんな退屈なことはないぞ。
どんなに素晴らしいことが起こっても何の感情も起こらない
単純作業の繰り返しに過ぎない。
だから、父さんはこう考えている。
自分の思うようにいかないことは、
そのままではつまらない人生に感動とか、感謝とかをもたらしてくれる、
退屈しのぎのための道具なんだってね。」
この言葉が、
最後までこのブログを読んでくれたあなたにとって、
ご自分の人生のほとんどの時間を「楽しいとき」で埋められる一助になればと思います。
最後までおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょう。
みなさんの成幸を心から信じている手紙屋より








