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  • プロフィール

    喜多川泰

    東京学芸大卒。1998年、横浜市に学習塾聡明舎を創立。「勉強だけができても仕方がない」をモットーに、今の時代に本当に必要とされる学習環境を探求しています。2005年に『賢者の書』(ディスカヴァー)で作家としてデビューしました。現在までのところ『君と会えたから…』『手紙屋』『手紙屋~蛍雪篇』(すべてディスカヴァー)と四作品を出版。
    これからも若い人を中心に「この本と出会って人生が変わった」と言ってもらえるような作品を執筆できるよう自分磨き継続中です!
    喜多川泰の徒然日記 


    本のソムリエ・団長

    常識では計れない発想と行動力で世界に夢と元気を届ける、新しいロックスター。その活動は、ロックバンド「一里塚華劇団」を軸に、音楽以外でも、多チャンネルに展開。特に、年間1000冊以上の読書を楽しむ “本のソムリエ” として、NHKを始めとするテレビから、ラジオ、新聞、雑誌、さらには学校、企業、イベントなど、各方面から引っ張りダコ!
    おとぎの世界から飛び出してきたような華やかなビジュアルも話題のマト。趣味は帽子集め、スイーツ食べ歩き。好きな花はバラ。
    著書「夢は見つかる。必ず叶う!」(ゴマブックス)
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2008年7月25日 (金)

10通目の手紙『最初の手紙への返信ーー楽しいけれども続けられないのはどうしてか?』by 喜多川

団長さん、手紙屋ブログ読者のみなさま、こんにちは。
喜多川です。
 
いよいよ手紙屋ブログというこの企画も最後の一通となってしまいました。

このブログを一度でも読んでくださった方
コメントをくださった方
このブログを人に紹介してくれたり、応援してくださったすべての方
管理をしてくださったディスカヴァーのみなさん
そして、もちろん
団長さん。

すべての人に心から感謝いたします。
ありがとうございました。

最後をまかされた身としては、
言われるまでもなくビシッと決めたいのは山々なんですが、
最後の最後に僕が伝えたかったことを
団長さんにズバッと書かれてしまいました。
偶然にも最後に僕が伝えたかったことも、実は
「一所懸命にやること」
だったんです。
しかも団長さんの手紙にあった、そのあとの一言は、
いただいた十通の手紙の中で一番シビレました。

「失敗を怖れて何もしなかった、という心の傷が、
痛々しい針が心の奥深くまでグサリと刺さっているのです」

この一言に心が震えました。
さすがです、団長さん!
って感心ばかりしてないで、喜多川も何か書けって声が聞こえてきそうですね(笑)。

僕からの最後の手紙は
この手紙屋ブログを最初からずっと読んできた熱狂的ファンが
一つ気になっているであろうことに、
ちゃんと答えを出して終わりにしたいと思います。
 
みなさんは団長さんからの一通目の手紙を覚えていますか?
実は僕、あの一通目をいただいたときに、この企画が末恐ろしくなったんですね。
何しろ質問の内容が一通の手紙では書ききれないほど、もの凄く深いことだったんです。
こんな質問がこれから続くのかなぁと思い、気持ちを引き締め直しました(笑)。
で、その質問とは・・・

「楽しいけれども続けられないことがあると思うのですが・・・そのへんはどうでしょう?」

僕の一通目の手紙を読んでいただければわかると思うのですが、
実はこの質問に対して答えていないんですね。
僕が答えたのは、どうすれば自分にとって楽しいことと巡り会えるかであって、
楽しけれども続けられないのはどうしてかではないんです。
話の流れでその話題に触れる機会もあるだろうと、
まずはどうやって楽しいことと巡り会うかの話をさせていただいたんですが、
その後、機会がないまま最後まで来てしまいました。
というわけで、最後の十通目は
「楽しいけれども続けられないのはどうしてか」という、
一通目にいただいたお手紙へのお返事で締めさせていただきます。
最後までおつきあいください。

結論から言うと、
それは、どういう瞬間に一番楽しいと感じているか、
もしくは、どういう瞬間を期待してそれをしているのかが
人によって違うからじゃないでしょうか。


僕は口癖のように生徒たちにこう言います。

厳密に言うと「楽しいこと」なんて存在しない、
「楽しいとき」が存在するだけだ。

ここが一番伝わりにくいところなのですが・・・、
例えばサッカーが大好きな少年にとって
「サッカー」は「楽しいこと」だと思われがちです。
でも、実はそうではなく、サッカーをやっていれば楽しいときがあるだけなのです。
どんな状況のどんな人とやるサッカーであれ楽しいわけではありません。

ゲームだって、野球だって、バンド活動だって、勉強だって同じこと。
それ自体が楽しいことなのではなく、
それをやっているとやり方によっては楽しいと感じるときがあるだけなのです。

で、その楽しいときがあるから、再びそれを求めて、それに取り組もうとします。

このとき多くの人は
「人より優れている」ことが自覚できるときや
「自分が活躍できた」とき、または、
「相手に勝った」ときに楽しいと感じるんですね。
つまり、広い意味で「予想通りの結果が手に入る」ときや
「他者より優れている」のが楽しいわけで、
その瞬間を求めてその活動を続けています。

ところがこういう人は、どんなに楽しいことを続けていても
途中で続けられなくなります。
当たり前ですが、続ければ続けるほど、上には上がいるからです。
小学生のときに人より野球が上手でも、
中学生になったらもっと野球が上手な人ばかりが集まってきます。
その中で人より秀でていても、
高校生になったらもっと上手な人が現れるかもしれない。
その中でも群を抜いて上手だからといって
プロの世界では通用するかどうかすら怪しい・・・。

人より優れていることが、
自分にとって楽しいことを続けるモチベーションになっている人は、
必ず途中で止めることになってしまいます。

一方で、それをずっと続けられる人もいます。
できなかったことが自らの工夫や努力、反復練習によってできるようになる。
そのできるようになる瞬間ではなく、
工夫や努力をしているすべての瞬間が楽しくて仕方がない人です。

つまり、自分にとって楽しいときはどちらなのかによって
それを続けられるかどうかが決まってくるわけです。

「思い通りの結果が手に入ること」
「(はじめから)人より秀でていること」
この瞬間が楽しくてそれを求めている人は、
その分野を続けることも、大成することも難しく、

「思い通りに行かないことを、自分の工夫や努力で思い通りの結果に変えること」
「自分の工夫や努力で、自分にできることを増やすこと」
その過程が楽しくてたまらないという人は、それを続けて大成することができる、
というわけです。

何せ前者にとって楽しいときはいい結果が得られたとき、つまりほんの一瞬ですが、
後者にとっては工夫や努力をしているときはずっと楽しい状態が続いているわけですから、
人生の大半は楽しいときになるわけです。

どんなに自分が好きなことであっても、
続けていくうちにいろんな壁がやってきます。
予想通りの結果が得られることがだんだん少なくなっていきます。
それでもそれを続けられるかどうかは、
その人が「どんな瞬間を楽しいと感じるか」にかかっているわけです。


「努力をしないで、元々備わっている才能で
人より秀でていることをやっているときが楽しい」
といった姿勢では、どれほど今は楽しいと感じていることであっても
続けることはできません。
また、工夫や努力を積み重ねた人でも、
思い通りの結果が得られた瞬間しか楽しいと思えないというのであれば、
先ほどよりは長続きするかもしれませんが、結局は続けるのは難しくなる。
やはり大切なのは
昨日までの自分にはできなかったことをできる自分になるために、工夫や努力をする。
その工夫や努力をしているときが楽しくってたまらないという人になることだと
僕は思っています。


ああなればいいのに、こうなってくれれば楽しいのに・・・
と得られる結果によって楽しい楽しくないが左右されてしまううちは、
どんなことをやっていても人生の成功者になるのは難しい。

どんな結果でも来なさい!
それを自分で頭を使って、工夫して、努力して、何度も失敗しながらも前進して、
自分の思い通りに変えるこの過程が楽しいんだから!
そう考えて人生を生きている人は
常に人生の成功者として幸せな毎日を送っています。

まずはあなたがそう言える強さを持つことが、
せっかく見つけることができた「楽しいこと」を続けるエネルギー源になるわけです。

僕が高校3年生の頃、上京を間近に控えた僕に父がこんな話をしてくれました。
 
「もし、本当にすべて自分の思い通りのことしか人生で起こらなければ、
人生なんてこんな退屈なことはないぞ。
どんなに素晴らしいことが起こっても何の感情も起こらない
単純作業の繰り返しに過ぎない。
だから、父さんはこう考えている。
自分の思うようにいかないことは、
そのままではつまらない人生に感動とか、感謝とかをもたらしてくれる、
退屈しのぎのための道具なんだってね。」

この言葉が、
最後までこのブログを読んでくれたあなたにとって、
ご自分の人生のほとんどの時間を「楽しいとき」で埋められる一助になればと思います。

最後までおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
また、どこかでお会いしましょう。

みなさんの成幸を心から信じている手紙屋より

2008年7月22日 (火)

10通目の手紙『今、目の前にあることに、とことん打ち込んでほしい』by 団長

喜多川さん、そして読者の皆さん!

ごきげんよう、団長です。

この毎度おなじみの挨拶も、これが最後です。

正直、さみしいですね。。。

ここまでの道のり、

毎週、喜多川さんと文通しながら
自問自答を繰り返すことは、決して楽ではありませんでしたが
本当に充実感でいっぱいでした。

“なるほど、そういう見方や考え方があるのか!!”

と新鮮な発見、学びの連続でしたし、共感の連続でもありました。

本当にどうもありがとうございます!

熱い感謝の気持ちをこめて、さっそく最後のお題に参ります。

「今までの手紙で伝えきれなかったこと、
今までの流れとはまったく関係ないけど
どうしても書いておきたいことなど…」

とのことですが、
正直、本気で書こうと思ったらヤバイです(笑)

飽きっぽい僕が、最後まで挫折することなく続けられたのも
喜多川さん、そして読者の皆さんのおかげです。

自分が受け取ったものの大きさを考えると
まだまだ全然恩返しが足りません。

お伝えしたいことも山ほどありますし、
あと10回でも、20回でも続けたいくらいです。

が、あえて1つだけ、万感の想いを込めて書かせていただきます!

先日、ある高校の文化祭で全校生徒と父兄を前に
講演する機会がありました。

有数の進学校ということでしたんで
おカタイ雰囲気なのかな、と思いきや
元気あふれる生徒ばかりでした。

目が輝いてるんです。

これはいい時間を過ごしてきた証拠だ、と
嬉しくなりました。

ま、でも文化祭期間中は、
誰でも多少はテンション上がるもんですしね(笑)

普段の生活はどうなんだろう?と興味を持って
別の日の放課後に改めて訪問させていただきました。

すると、まぶしいばかりの光景を
たくさん目にしました!

クーラーの全く効いていない蒸し暑い校舎の中、

教室に残って黙々と勉強している人、
体育祭に向けての会議や自主練に励んでる人、

灼熱の陽射しの下で、部活に燃えている人、

など、それぞれが熱いエネルギーにあふれていました。

体育祭に向けての会議にいたっては
こっそり聴講しようかな、と思っていたんですが
そのあまりの白熱した空気に一歩踏み出すのを躊躇してしまいました。

まだまだ先のことなんですよ、体育祭は。

なんだか、すごくいいなぁ、と思いました。

みんな、それぞれが一生懸命だからです。

一方で、

高校時代の自分を思うと恥ずかしくてたまりませんでした。

3年間を振り返ってみて、心底打ち込んだもの、
これだけは一生懸命やったぞ!と自信を持って言えることが
1つもないからです。

全てが中途半端。

そこそこ楽しんで、そこそこがんばって、

そこそこ苦しんで・・・

思えば思うほど、そこそこ、だらけなんです(笑)

表面上は、とりあえず同調しつつも、
一生懸命やってる人を腹の底ではバカにしてみたり
ときに斜に構えてみたり・・・

あぁ、なんと、おぞましい(笑)

この情けない態度は、何かに打ち込んでる人へのうらやましさの
裏返しかな、と思っていたんですが、
どうもそれだけじゃないことがわかりました。

「そこそこ」の裏には
一生懸命やることへの恐怖心があった気がします。

全力でやって失敗したとき、自分はどうなってしまうんだろう、
もはや生きていく資格がないのでは、、、

という恐れです。

テキトーに流しておいたなら
いくらでも言い訳ができますしね。

そして、

「 学校がつまらないから仕方ない 」

みたいなことも思っていました。

アホですね、ほんと(笑)

なぜつまらないか、の根本的理由がわかっていなかったんです。

それは・・・・・・・・・・

「 一生懸命やってないから 」

です。

人間は、一生懸命やってこそ、心底楽しめるものなのです。

一生懸命やってこそ、秘めたる底力を発揮できて、
人間として成長できるものなのです。

僕は自分が音楽と出会って、初めてわかりました。

身体ごと、魂の全てをぶつけられることの素晴らしさを。

何かあるんなら、それをとことんやってみる。

もし、今打ち込めるものがないんなら
目の前のことをとりあえず一生懸命やってみる。

それで十分なんです。

そこそこではなく、一生懸命やってみないとわからないことが
確実にあります。

“そうは言っても、失敗して傷つくのはイヤだ”

という方もいらっしゃるでしょう。

気持ちはよくわかります。

しかし、1つ大事なことを見落としています。

あなたが一番傷つくのは、失敗することでしょうか?

残念ながら、それは違います。

一番傷つくのは、

「 失敗を怖れて何もしないこと 」

です。

失敗した傷なんて、実際たいしたことないんです。

転んですりむいた傷にパパっと薬を塗る程度です。

すぐ治りますし、転んだことによって、
自分に何が足りなかったのかがよくわかるようになります。

だから、成功へグーンと近づけるんです。

一方、失敗して傷つくことを恐れて何もしなかった場合、
表面的には無傷のように感じるかもしれません。

しかし、実際には、
失敗を怖れて何もしなかった、という心の傷が、
痛々しい針が心の奥深くまでグサリと刺さっているのです。

たとえ、あなたが感じなくとも、心は深く傷ついているのです。

一生消えることのない傷になってしまうのです。

そのことを忘れないでください。

このエピソードは、高校生に限ったことではなく、
そのまま大学や会社にも置き換えられると思います。

失敗を怖れるのは、誰にとっても、ごく普通のことです。

だから、成功とか失敗とかを考える前に
まず目の前のことを一生懸命やってみてください。

一生懸命やれれば必ず楽しくなりますし、
学ぶこと、気づくことがたくさんあります。

僕自身、まだまだ未熟者ですし、
挑戦せずに逃げていることがあります。

笑ったり、泣いたり、いろんな感情を共にしながら
これから皆さんと一緒に楽しくがんばっていけたら嬉しいです。

大人も子どもも輝ける世の中になるよう、
熱く楽しんでいきましょう!!

最後までお付き合いいただき、
本当にどうもありがとうございました!

このすばらしい出会いに心より感謝申し上げます。

では、喜多川さん、最後をビシっと締めてください!

よろしくお願いします。

団長

2008年7月18日 (金)

9通目の手紙『最近、何か新しいことに挑戦しましたか?』by 喜多川

団長さん、手紙屋ブログ読者のみなさま、こんにちは。
喜多川です。

手紙屋ブログも今回が9通目。いよいよ終盤です。
読者の方からもたくさんコメントをいただき、
そのひとつ一つにお答えしなければいけないなぁと思いつつも、
話の流れの関係からお答えできないことに対して心苦しさを感じますが、
二人の手紙のやりとりの中にいろんなヒントとなるものがあると思いますので、
みなさんの読みとる力に甘えさせて頂いています。
ご理解頂ければ幸いです。

さて、団長さんの9通目の手紙には
本当に共感できる部分がたくさんありました。
「子供は大人の鏡である」
「大人になるって、こんなに楽しいんだぞ~って姿を大人が見せなければいけない」
本当にそうだと思いますね。

僕が先生として気をつけていることが、まさにそれです。

先生は生徒に日々勉強を教えます。
別の言い方をすると、
「昨日まではできなかったことを今日はできるようになれ」
ということを子供たちに強要するわけです。
ところが、当の先生たちは、
自分はすっかりできるようになってしまった知識を使ってお金をもらおうとしているだけの人があまりにも多いんですね。
必ずしも新しい自分にならなくてもやっていける仕事なんです。
つまり、自分も昨日まではできなかったことを、
今日できるようにしようと努力をしていない人が多いんです。
自分の周りにたくさんいるそういう大人を見て、
これでは、生徒はその先生の言うことなんか聞けないんじゃないかな?
って思うようになっていきました。


自分が生徒たちにこういうふうになって欲しいと感じる状態に関しては
自分がそうなっていなければならない。
これは常に気をつけています。

僕は先生という仕事を通じて、子供たちに
「失敗を恐れず挑戦する勇気を持ってもらいたい!」
ということを伝えたいと思っています。
もちろん、これは先生という仕事だけでなく、執筆活動においても同じこと。
僕の活動の基本はこれです。

ということは、まずは僕自身が失敗を恐れず挑戦する勇気を持った人でなければならないということになりますよね。
ということで、いろんなことに挑戦する生き方をしています。
自分ではそのつもりです。
そのことが僕の周りにいる人に伝わっていればいいなぁって思いますが、
まあ、それはどうでもいいでしょう(笑)
とにかく、失敗を恐れず挑戦する勇気を持って生きている大人に教えられなければ、
子供が失敗を恐れず挑戦する勇気をもつ人に育つことができないのは事実。

というわけで、団長さんからの質問、
この国を支える将来の成功者たちに
喜多川さんがどうしても伝えたいことは何ですか?
に対するお答えはこれです。

「失敗を恐れず挑戦する勇気を持て!」

昨年、心理学の本を多数執筆されている加藤諦三さんとお会いする機会があり、
そのときうかがった話なのですが、
日本ほど子供が失敗したときに親に責められる国はないらしいのです。
言われてみて納得してしまいました。

他国、とりわけ欧米諸国では、結果がどうであれ、挑戦したことが誉められます。
結果が成功であれ、失敗であれ、挑戦したこと自体が賞賛の対象ですから、
結果によって賞賛の仕方が変わったりはしません。
「私はあなたのそういうところを誇りに思うわ」
という母親の言葉を聞きたくて、さらに挑戦する勇気がわいてきます。
ところがこの国では、成功すると賞賛されるかもしれませんが、失敗すると責められます。
幼い頃、コップに自分で牛乳を入れようとして、こぼしては怒られることに始まり、
とにかく失敗しては怒られる。
とにかく賞賛の対象は成功することになりがちです。

でも、ちょっと考えてみればわかるんですが、
人間は今までやったことがないことをやろうとするとき、
どういう結果になるのが普通でしょうか。
ほぼ100%、上手くいきません。
つまり、失敗するんです。
何度も失敗を繰り返したあとに、成功がやってくるわけです。

ところが、成功したら誉められる、失敗したら責められる環境で育った子供は
当然失敗することを恐れるようになります。
失敗を恐れた子供は、できる限り失敗しない方法で生きていこうとします。
つまり、新しいことに挑戦するのをやめるということです。

でも、ここではっきり一つだけ申し上げておきますが、
新しいことに挑戦する勇気をなくしてしまった人が、人生の成功者になることはできません。
なぜなら多くの成功を手に入れる生き方をする人は
誰よりも多くのことに挑戦して生きている人であるし
そうなれば、必然的に誰よりもたくさんはじめてのことに挑戦するわけですから
誰よりもたくさん失敗してきた人だと言えるわけです。

だから失敗を責める親は、子供を成功者にすることはできませんし
失敗を恐れて挑戦する勇気をなくしてしまった人は、
成功者になることなんてできないんです。


僕はこのブログを読んでくれているすべての人にこう伝えたい。

「失敗を恐れずに挑戦する勇気を持ちましょう!
挑戦すること自体が素晴らしいことなんです。
結果を恐れず挑戦する、そんなあなたを僕は誇りに思います。」

勇気を持ちたいけど、自分にはそれを誉めてくれる親も大人もいないという人は、
団長さん方式を使いましょう。
つまり、そんな自分を自分で誉めてしまうわけです。

どうしても、やはり一通の手紙では伝えきれない部分はありますね。
このあたりのことはもっと詳しく、一冊の本としていずれ書いてみようと思います。
(乞うご期待!)

というわけで、今日はこの辺で…

さあ、いよいよ10通目ですよ、団長さん!

最後の一通のテーマはもちろん団長さんにお任せします。
今までの手紙で伝えきれなかったこと、
今までの流れとはまったく関係ないけどどうしても書いておきたいことなど…
思いの丈をぶつけて下さい。
よろしくお願いします。

2008年7月15日 (火)

9通目の手紙『日本の未来を明るくするために、今すぐ誰もができること』by 団長

喜多川さん、そして読者の皆さん!

ごきげんよう、団長です。

手紙も残すところ、あと2通となりました。

毎週書き続けてきた結果としての達成感も少々ありますが、
ずいぶんと寂しくなるような・・・

とりあえず、目の前のこの1回に集中します!

前回の喜多川さんの手紙からは、またいろいろ学びました。

“先生の仕事は「教える」ではなく「伝える」こと”

“どうしても相手に伝えたい一言を言うときには、
相手の目を見ると言うよりも、目の奥にあるその人の脳みそを
見る感じで、そこに自分の言葉をそっとおいてあげるイメージで”

これは、いいですね! さっそく実践してみます!

それと話を聞く態度についてですが、僕も似たようなことを
思ったことがあります。

むしろ大人相手の講演をしているときに感じることが多いのですが
ずっと、しかめっ面で腕組みをして退屈そうに見えた人が
終了後に「すごくよかったです!」と感想を伝えに来てくれて
本やグッズをたくさん買って帰ってくれたり(笑)

一方、大きく肯いて満面の笑みで聞いている人が
そのままスーっと帰ってしまったり(笑)

話し手としては、たしかにニコニコ聞いてもらえた方がやりやすいですし、
気分も良くなります。

しかし、聞き手の態度を気にして
ヤル気を失ったり、集中力を欠くようでは
もったいないですよね。

結構わからないもんですよ、ほんと(笑)

見た目のイメージで好意的かどうかを決め付けるということは
こちらの望む姿を相手に押し付けてるだけですから。

これは、日頃のちょっとした人間関係にもいえることだと思いますんで
参考になれば幸いです。


さて、では、喜多川さんからのお題にいきますね!

この国を支える将来の成功者たちに
団長さんがどうしても伝えたいことは何ですか?

これなんですが、メディアに出演した際や講演などでも
似たようなことを質問されることがあります。

で、僕がどう答えるかと申しますと、、、


「 特にありません 」


と(笑)

なぜなら、僕に関して言わせていただくなら、
中高生や大学生相手でも、社会人相手でも
本質的に伝えたいことは、ほとんど同じだからです。

年代に応じて、伝え方こそ変えますが、
言いたいことも、やりたいことも大差ありません。

世間と真逆のことを言うようですが、
この国の将来は、いわゆる若者ではなく、
年配の皆さんにかかってる、と僕は思っています。

というのは、人って、テレビの向こうの有名人ではなく、
ごく身近な大人の姿に、将来の自分を見るからです。

小学生は中学生のお兄さんやお姉さんたちを見て、
自分が制服を着て少し大きくなった姿をイメージしますし、
高校1年生は、3年生の姿を見て、
あぁ、2年後には受験や進路のことが待ってるんだな、
と考えますよね?

社会人だって、そうです。

入社早々の人に、定年退職する自分を想像しろ、
といわれても、ちょっと厳しいですよ(笑)

といった具合に、
人は身近な人、あるいは身近に感じる人に
知らず知らずのうちに将来の自分を重ねてみます。

ですから、

大人が死んだような目をして
毎日ため息をつきながら生きてる姿を
ずっと目の当たりにしてきたら、
子どもは大人になりたいと思うでしょうか?

“うわー、大人ってつまらなそう。
大人になんかなりたくない…“

と思うのが自然な反応ではないでしょうか。

自分は毎日これといった楽しみもなく生きてるのに

「君たちは、若いから夢があっていいよね」

などと語る大人の話を誰が聞くんでしょうか。

最近の子どもは大きな夢を持たなくなった、などと
言われますが、それは裏を返せば、
大きな夢を持っている大人がいない、
ないしは、そういう大人に接するチャンスがない、
ということですよね。

子どもは大人の鏡ですよ、ほんとに。

お父さん、お母さんや近所のおじさん、おばさん、
学校や塾の先生、そういう身近で接する機会の多い方たちが
日々を楽しんで、イキイキ生きてる姿を見せることこそが
夢や希望を与えることであり、一番の社会貢献だと僕は思います。

「大人っていいぞ~、楽しいぞ!
君も早く大人になって一緒に楽しもう!」

くらいのことを嬉しそうに語ってもらえたら
今、たとえどんな状況であっても、
かなり元気が出ると思うんです。

子どもが早く大人になりたい!

と思える世の中をつくっていくこと、が
大人に課せられた使命であり、
下の世代にとっては何よりのプレゼントではないでしょうか。

そして、これは“世の中”を“学校”に
そのまんま置き換えたら、学生のみんなにも
通じることです。

先輩の皆さん!

下の人たちは、あなたが思っている以上に
あなたのことを見てるんですよ。

そのことを忘れないでくださいね!


ま、これはその一例に過ぎませんが、
そんな感じで、僕が伝えたいことは年代によって大差はない、
と思う次第です。

多くの人に会えば会うほど、その想いは強くなっております。

が、それでも、どうしても学生に何か、と言われた場合には、

「何でもいいから、僕をドキドキさせるようなことをしてください」

とお答えしています(笑)

人間、悩みは一生なくなりませんから。

とりあえず、そっちは置いといて(笑)、
なんかワクワクするようなことをしてほしいですね。

人間、デカイことを考えた方が気持ちいいようにできてますんで。

小さな風呂に入るよりも、大きな露天風呂に入った方が
開放感があって、スカっとするでしょ?

あれと同じだと思います。

…おっと、どんどん勢いづいてきてしまいました~(笑)

そろそろ喜多川さんにバトンタッチします!

この国を支える将来の成功者たちに
喜多川さんがどうしても伝えたいことは何ですか?

で、お願いします(笑)

団長

2008年7月11日 (金)

8通目の手紙『言葉のもつ絶大な力を意識していますか?』by 喜多川

団長さん、手紙屋ブログ読者のみなさま、こんにちは。
喜多川です。

まず、前回の七通目の内容について、一つだけ補足させて下さい。
前回の手紙だと僕がいろんなことで誉められて育った印象があるんじゃないかと思うんですが、
そうではありません。むしろ反対です。
実は、父から誉められたことは、今まで一度しかないんですね。
その一度も最近の出来事。
子供の頃から、決して僕を直接誉めることのない父でしたが、
口から出る言葉は「お前は将来、世界を股にかけて活躍する人になる!」でした。
母は自分が本当にすごいと思ったことしか誉めない人でした。
ですから絵が上手だと誉められると、僕は自分では自覚はなくとも、
きっとそうなんだなぁと納得できたわけです。
逆に、勉強ができたからといって誉められたことは一度もありませんでした。
成績がものすごくよかったときも、「ああそう、よかったね」と他人事のような言い方をされ、
その後そういうことに関して自慢しなくなったのを覚えています。
後に、母からは意識的に誉めないように育てたという話を聞いたことがあります。
「誉められるから動く、誉められなければ動かないという育ち方をすると、
○○がもらえるならやる、もらえないならやらないという生き方をするようになる。
そうなって欲しくないから…」
とのことでした。

それが普遍的に正しいかどうかは別として、僕にはとても合っていたと思います。
元々調子乗りのところがありましたので、誉められすぎたら天狗になってしまったでしょうしね。
今では心から感謝しています。

というわけで、今日も楽しんでいきましょう。

団長さんからいただいたテーマ、
「言葉の持つパワーを感じるようになったのはいつ頃からか」
ということですが、これという一つのエピソードをあげるのは難しいですね。
毎日言葉を使って「伝える」という仕事をしていますから、
気がついたときには言葉の持つ力というのを認識するようになっていた、
というのが答えでしょうか。

余談ですが、僕は、先生の仕事は「教える」ではなく「伝える」ことだと思っています。
どうやったらうまく教えられるかを研究する人は、
子供の考える能力を奪う研究をしている可能性があります。
どうやったらうまく伝えられるかを研究することによって、その可能性は少なくなります。
僕も、日々どうやったらうまく伝わるかを研究しました。
せっかくですから、誰にでもできる相手に伝わる話し方を一つご紹介しましょう。
どうしても相手に伝えたい一言を言うときには、相手の目を見ると言うよりも、
目の奥にあるその人の脳みそを見る感じで、そこに自分の言葉をそっとおいてあげるイメージで、
ちゃんとここに置きましたからねって意識しながら話してあげるといいんですね。
あくまでもイメージの問題ですが、そうしてあげると相手に伝わりやすい言葉になっています。
是非お試しください。

話を戻します。
僕は毎日、中高生を前に話をしています。
僕が本で書いているようなことを、毎日授業の中で話すんです。
こういう話をすると、みなさんは、
生徒たちが姿勢を正して礼儀正しく僕の話を熱心に聞いている姿を想像されるかもしれませんが、
案外そんなこともないんです。
高校三年生ともなると、さすがにみんな聴き方も大人になるんですが、
中学生などはやはり斜に構えたりするんですよね。
以前は僕も人の話を聴く姿勢について結構うるさく言っていました。
学校の先生も親もそういうことを教えないのなら、自分がそういうことを教えてあげないと
この生徒は誰にもそういうことを教わらずに大人になってしまう…
という変な使命感に燃えていたんですね。
今は別の考え方に変わりましたけど。
で、どうして変わったかというと、それは次のような経験を何度もしたからなんです。

僕が生徒の前で話をすると、先ほども書きましたように、
生徒たちはいろんな反応を示しながら聴いています。
うなずきながら素直に聴いている生徒。
無表情で聴いている生徒。
斜に構えた態度で聴いている生徒。
無反応な生徒…
いろいろです。

ある時、ある保護者の方からこんな話がありました。
「うちの息子があまりに勉強しないんで、将来の自分のためなんだから頑張りなさい!って言ったら、
勉強は自分のためにやろうとするから苦しくなるんだよ。
元々自分以外の人のために自分を磨く道具としてあるのが勉強なんだ。
って偉そうなことを言うんですよ」

僕はそれを聞いて、思わず笑みがこぼれました。
その生徒は僕の話を聞く姿勢は悪かったのですが、
話した内容はちゃんと自分の意見として取り入れていたんですね。
その後、放っておいても勉強するようになりました。

つまり、反応が素直じゃないからといって、
言った内容が伝わっていないわけではないということです。
むしろ素直に聞いている人の方が伝わっていなかったということがよくあります。

自分のことを思い出してみても、
十代の頃は人の話を聞く態度が素直じゃなかったと思います。

それでも素直に聴いていないからといって自分の中に入っていないわけではない。
自分のためを思って伝えようとしてくれた言葉はちゃんと自分の中に入っているんですね。
そして、その言葉が長い間自分の中で生き続けて、
何かのきっかけで自分の口から外に出るときに、
自分の考えとして揺るぎないものになっているんです。


そのことがわかれば、どんな言葉を相手に与えて生きるかというのも変わっていきます。

「言葉の力」が絶大であることは僕が言うまでもありません。
「はじめに言葉ありき」の言葉通り
言葉とは僕たちの人生のすべてをつくりだしている源であると言っても過言ではないでしょう。

そして僕たちは、その絶大な力を毎日使って生きているわけです。


自分は言葉という絶大な力を持っているという気づき、
そしてそれをどう使うべきなのかということを考える姿勢を持ったとき、
僕たちははじめて自分の人生の責任はすべて自分にあるということを知ることができます。
幸も不幸も、言葉という絶大な力を使って
すべて自分が引き寄せているものだということがわかるようになります。

そう考えると、
言葉には絶大な力があるということに気付き、その使い方を考える生き方をすることは、
自分の人生のすべての瞬間を幸せで埋めるために必要不可欠であると言うことができると思います。

というわけで、今日はこの辺で…。

さあ、気がつけば残すところ、あと二通になってしまいましたね。
この手紙屋ブログの読者は、若い人を中心として、
大きな夢を持ち、自分の人生を素晴らしいものにしたいという人が多いと思うのですが、
そんな、この国を支える将来の成功者たちに
団長さんがどうしても伝えたいことは何ですか?
あと二通ですからね。
そろそろ、そこのところを熱く語っていただければと思います。
よろしくお願いします。

2008年7月 8日 (火)

8通目の手紙『親が褒めてくれないときは・・・?』by 団長

喜多川さん、そして読者の皆さん!

ごきげんよう、団長です。

最近、おぉ! と思ったことがあります。

びっくりするくらい真っ直ぐに熱く夢を語れたり、
自分も他人も信じることができたり、
澄んだ目で気持ちよく生きている人の多くに
共通点があることに気づきました。

それは、幼少時から親に

「おまえならできる!!」

と無条件に認められ、信じられて育ったことです。

まさしく、喜多川さんのご両親のように!

先日もある大企業の社長が言っておりました。

「どん底に落ちたときでも、“アンタは世界を変える男になる”と
子どもの頃から言い続けてくれた母の言葉が、心の大きな支えになっている」

と。

親の存在とは、本当に大きなものですね!

喜多川さんの手紙を読んで、その想いを新たにしました。

そして、正直、うらやましくも思いました。

なぜか?

僕の親は、喜多川さんとは正反対でしたんで(笑)

何かにつけ、厳しい親でした。(今もです)

他の人がみんな褒めてくれるような場面でも
ウチの親だけは厳しいことを言いました(笑)

まともに、褒められた記憶がありません。

裏を返せば、それだけバカなことばかりやってたとも言えますが(笑)

今でこそ、厳しさも親の愛情だったんだな、と
理解できるようになりましたし、大いに感謝していますが、
子どもの頃は、実に微妙でしたね~

親の言葉をキッカケに、ヤル気が失せたことや
コンプレックスが強くなったことも多々あります。

学校に行っても、勉強ができたわけでも
運動が得意だったわけでもないので
褒められることはそんなになかったですしね~

よく怒られましたが(笑)

野球が好きで少年野球チームに入ってましたが、
補欠でしたし(笑)

ほんと、何をやっても、目立った才能も長所もなく、
逆に、できないこと、苦手なことは山ほどあって
自信なんてカケラもなかったですね。

一歩間違ったら

「誰もオレを認めてくれない。生きていても仕方ない」

という展開になっても、おかしくなかったかもしれません。


では、なぜ踏みとどまれたのか?

僕を見守ってくれる存在があったからです。

それは田舎に住む祖父母でした。

細かいことは省きますが、
僕を丸ごと受け入れ、かわいがってくれると
心底信じられる、本当にありがたい存在でした。

そして、

幼少時に見てきた祖父の姿に、
いかに僕が影響を受けたのかを
大人になるほどに、まざまざと感じさせられています。

たとえば、僕が読書の面白さに目覚めたのは、
大の読書家であり、創作家でもあった祖父の影響です。

もう亡くなっていますが、
例を挙げればキリがないほど、
自分のスタイルの中に祖父が生きていることを感じます。

それと、もう1つ。

これは、僕の心の中だけにしまっておこうかと
思ったんですが、、、

この際、包み隠さず、

“恥ずかしい過去”

をバラしましょう!!


おそらく中学以降だと思いますが、
自分の活躍を心から信じてくれる人が現れました。


それは、、、


「 自 分 」


です(笑)


親があまりにも褒めてくれないことへの反動だったのか、
いつからか、自分で自分を褒める習慣がつきました(笑)

まぁ、そうでもしないと、やってられなかったのかもしれませんが(笑)

テストでいい点をとったときや、
面白い絵が描けたときなどに

「オレって天才かも!」

「今日のオレ、最高!」

と自分で自分を褒めるようになりました。

そして、それがだんだん心地よくなってきたんです(笑)

そのうち、自分の心の中だけで言うのでは飽き足らなくなり、
厳しい親にも

「オレは天才だ」

とか言うようになってました(笑)

親は呆れてバカにしてましたが
そのうちニヤニヤしながら、野放しにするようになりました。

こうなると、もう勢いは止まりません!

家の中を通り越して、友人や先輩・後輩たちの前でも
随時大口を叩く、

「 大ホラ吹き野郎 」

と化していました(笑)

僕としては、実際に自信満々だったわけでも何でもなく、
ただデカイことを口にして、みんなに笑ってもらえるのが
気持ちよかっただけなんですが、
あるときから不思議なことが起こるようになりました。

みんなの前で吹いたホラが
次々現実になってしまうのです!

基本的には、とてもできそうもないことばかり口にするので

「冗談好きで、いつも笑わせてくれるアホなヤツ」

といった感じで、認識されてたんですが
ホラが現実化していくにつれ、周囲の様子も徐々に変わってきました。

「コイツ、ただのアホかと思ったら
 意外と、すげーヤツかもしれない」

と(笑)

この現象に一番驚いていたのは、他ならぬ僕です(笑)

自分としても、ほとんど冗談のつもりで言ったことが
うまくいってしまうんで、面食らうばかりで。。。

そのうち、

「冗談じゃなくて、オレって本当にやれる男なのかも!」\

という自信がにわかに芽生え始めました。

ま、バ●とハサミは使いよう、というか、
単に周囲の人たちに恵まれただけのことなんですが、
この勘違いパワーは、自分を救いましたね。

あれがなければ、自分で自分にバツ印をつけたまま
ずーっと苦しい人生を歩んでいたかもしれません。

「願いは、口に出すと叶う」

と本に書いてあるのを何度か目にしましたが、
これは本当だと思います。

喜多川さんは、言葉の持つパワーを感じるようになったのは
いつ頃でしょうか?

何かエピソードなどありましたら、ぜひお聞かせください。

よろしくお願いします。

2008年7月 4日 (金)

7通目の手紙『僕を変えた父の口癖』by 喜多川

団長さん、読者のみなさん、こんにちは。
喜多川泰です。

作家として活動をさせてもらうようになってから、
本当に多くの人のおかげで今の仕事をさせていただいているんだなぁ
と思えるようになりました。
まさに、前回の手紙で団長さんが書いてくださったとおりです。

僕が書いた作品がみなさんの手元に届くまでには
本当にたくさんの人の力を借りなければなりません。
文章を校正する人、レイアウトを考える人、表紙をデザインする人、
スケジュールを管理する人、印刷会社で働く人、
本になるための紙をつくる人とその原料をつくる人、それを運ぶ人、
インクをつくる人、製本のための糊をつくる業者、できあがった本を運ぶ運送会社の人、
各書店においてもらうために動いてくださる営業の人、書店の店員さん、などなど…。
他にも数々の人の力が一つになってようやく一冊の本がみなさんと出会えるわけです。

そういったことを考えてみると、本当に感謝の一言です。
そのことを改めて認識させられる内容でした。ありがとうございました、団長さん。

さて、今日のお題。
今の僕が優れた人格かどうかはさておき(笑)
僕がどのような少年期を過ごして今に至っているのか…についてですよね。
僕が受験期の親向けの講演でよく紹介するエピソードを交えながら
進めていきたいと思います。
今日も、楽しんでまいりましょう!

子供時代の僕は遊んでばかりいました。
学校が終わると外に遊びに行って、暗くなるまで遊んでいました。
両親が共働きだったこともあり、家に帰るといつも七時とか八時でした。
家で勉強するという習慣も全くなく、
アニメ・サザエさんの「カツオ君」のような小学生と言えばわかりやすいでしょうか。

「喜多川さんは昔からよく本を読んだんですか?」
とよく聞かれるのですが、実はまったく読んでいなかったんです。
僕が本を読み始めたのは自分の会社を持つようになってから。
年齢でいうと28歳頃からです。
そう、案外遅いんですね。
この話をすると、今まで本なんか読んだことなかったんですけど…という人にも
自分も作家になれるかもという希望を持ってもらえるようです。
何かを始めるのに遅すぎるということはないという、いい例じゃないかと思います。

話を戻しましょう。
野球少年だった小学校時代。
サッカー小僧に変わった中学時代。
何事にも必死になることはかっこわるいと感じていた高校時代。
その後、一年の遊学期間(世間では浪人と言いますが)を経て
大学生になりました。
楽器が弾ければかっこいいかなと思いギターなどをかじるも大成せず…
とまあ、何をやっても中途半端な十代でした。

一言で言うと、努力が嫌いで、
興味を持って始めたこともちょっとした壁がやって来ると、
自分を正当化する言い訳をして、すぐにそこから逃げるような、
何の取り柄もない普通(?)の若者だったわけです。
いわゆる「かっこつけのダメダメ君」でした。(笑)

そんな若者が今、本を出版したり、受験生に勉強を指導したり、
全国で講演をさせてもらうようになりました。不思議なものです。

どうして今のような仕事ができるようになったのか、
何がきっかけで変わることができたのか、とよく聞かれます。

いろいろな要因があるので、一つに限定してお答えするのは難しいのですが。
大きな理由の一つとして僕はいつも両親の存在をあげています。

僕の父の口癖は
「お前は、世界を股にかけて活躍する人間になるぞ~」
でした。
どこにその根拠があるのかわかりませんが、父は心からそう信じていたし、
その考えを疑っている様子はどこにもありませんでした。
心からそう言っているように見えました。
そしてその話をするときは、いつも満面の笑みを浮かべながら言うんです。
十代の頃の僕はそういう優しい言葉に対しても、素直に喜びを表現せず、
刺すような視線で父の顔を見ていたこともあるんじゃないかと思いますが、
父はその言葉を変えることはありませんでした。

不思議なことに何をやったら向いているとか、
こういう仕事がいいんじゃないかというようなことは一度も言われたことがありませんでした。
「○○の分野なら、活躍できるんじゃないか」といった条件もありませんでした。
何かにおいて優秀な結果を残したからそう言われたわけでもありません。
そんな経験は一度もありませんでしたから。
にもかかわらず
「何をやってもその世界で、世界を動かす人になるぞ~お前は。」
と言うんです。
結局、僕はその言葉に乗せられて
そういう人になるべく自分の人生を動かそうとするようになりました。

母は、僕が何をやっても
その中に、にじみ出てくる僕の感性を誉めてくれました。
絵を描けばその絵を「これほどすごい作品はない」と言い、額に入れ飾ってくれました。
(今でも僕の実家には僕が小学生の頃に描いた絵が掛かっています)
学校ではまったく評価されなかった絵にもかかわらず、
ここの部分がすごいと、心から誉めてくれました。
何をやっても他人と比較するのではなく、
僕の中にある、僕にしかない良さを誉めてくれました。
僕は、その言葉に乗せられるように、
自分にしか書けない文章があるという強い信念を持って
作品を書くことができるようになりました。

根拠なく僕の世界的活躍を予期した父親。
他の子供と比較することなく僕の才能を賞賛した母親。

この二人の大いなる勘違いによって
僕は今の僕のようになってきたんだと思います。

もしも、僕の父がどんなことに対してもちゃんとした根拠を探そうとする人なら、
もしも、僕の母が他の子供と比較して僕を誉めたり叱ったりする人なら、
僕の人生はまったく違うものになったに違いありません。

人間は言われたとおりの人になろうとします。
日々子供たちと接しているとよくわかります。
もちろん子供だけじゃなく、大人も同じです。
「あなたほど優しい人はいない」
と言えば、その人は優しくなろうとします。
「君ほど才能にあふれる人は見たことがない」
と言われれば、その才能さらに磨き、活かそうとします。

僕が育った環境では、残念ながら僕のことを認めてくれる先生、指導者には巡り会えませんでした。
口を開けば
「お前には無理だ!」「才能がない!」「センスがない!」
と言われました。
でも、幸いなことに、僕の両親は「無理」という言葉を一度も使ったことがありませんでした。
それどころか、口を開けば
「何をやっても、お前は世界で活躍する人になれる!」
と言ってくれました。


人間の人生を変えるためには
自分の活躍を心から信じてくれる人がたった一人でもいいからいればいいんだと思います。

僕の場合はそういう人が二人も家の中にいました。
本当に幸運でした。
今、僕は僕と接するすべての受験生にとって、
その一人になりたいと思って授業をしています。


人間は言われたとおりの人になろうとする。

もしかしたら僕の両親はそのことを知っていて、それを利用したのかもしれませんね(笑)。
作戦であったにせよ、本心であったにせよ、
今ではそういう言葉をかけて育ててくれたことに心から感謝しています。

というわけで、今日はこの辺で…

団長さんにも、そんな「一人」がいらっしゃいますか?

2008年7月 1日 (火)

7通目の手紙『本気で成長したいと思ったら、思い上がってるヒマなんてない!』by 団長

喜多川さん、そして読者の皆さん!

ごきげんよう、団長です。

前回の喜多川さんの手紙は、共感の嵐でした~

とりわけ、

「今の自分を変える一番いい方法は、自分の周りにいる人、
つまり自分が付き合って生きている人を変える」

には、大いに唸らされました。

奇しくも、今回のお題

「 感謝について 」

と通じるところがありますので
それも絡めながら進めてみますね!

テレビや雑誌などで、芸能人やアーティストが
何かにつけて

「(成功は)みんなの応援のおかげです」

という言葉を発しているのを見聞きすることが
あると思いますが、以前の僕は

“ケッ!!”

と思ってました(笑)

猫も杓子もというか、単なる決まり文句のようで
何だかとてもウサンくさく思えてならなかったんですよ~

しかしですね、

アーティストとしての活動を続けるにつれ、
自然に自らも

「皆さんのおかげです」

という言葉を口にするようになりました。

なぜなら、

応援してくれる方がいなければ
アーティストは存在しえない、ということを
身にしみて実感しているからです。

家で一人でやってるだけなら
ただのオタク同然ですもん(笑)

特に活動のスケールが大きくなればなるほど
1人でできることが、いかに小さいかを
痛感せざるをえなくなりました。

人のお力や励ましの言葉が
どれだけ支えになっているのか・・・

心が折れそうになったり、くじけそうになったときに
人の言葉や心に数え切れないほど救われてきました。

この手紙屋ブログでも、喜多川さんからはもちろん、
読者の皆さんからのコメントやメールが
大きな大きなエネルギー源になっています。

本当にありがたい限りです。


そして、皆さんからの応援と両輪になって、
僕を支えているのが、スタッフの存在です。

残念ながら、自分自身には自慢できるようなところは
これといって見当たりませんが、
スタッフの人材には本当に恵まれています。

正直、僕の実力をはるかに超える人材が
集まっています。

衣装さんも映像さんも音楽エンジニアさんも
みんなものすごい実績と実力ある人ばかりで、
人柄も素晴らしいです。

仕事を一緒にするたびに、凄まじい刺激を受けるとともに
自分の未熟さをイヤというほど感じるんですよね。。。

自らの至らなさにグサっとくる部分と
一流の言動に間近でふれられる喜びで
日々ワクワクしっぱなしです。

彼らのいいところを吸収して、自分もどんどん成長したい、と
心底欲しています。

プロ野球・楽天の野村監督が

「一流が一流を育てる」

という言葉をたびたび口にしていますが、
まさにそのとおりかも、と最近つくづく思います。

成長には一流人にふれることが
何よりの近道。

しかも、猛烈に楽しい!

傷つくことを怖れて
自分ひとりの世界にこもっていては
結果的にもったいないことになる気がします。

自分のことを考えれば考えるほど、
精神面でも、能力面でも、
人のお力があってこそ今の自分があり、
これからの自分に期待できます。

何の刺激も受けないときの
自分の能力がどの程度のものなのか、
過信するとどういうことになるのか、
十分よくわかってますんで
感謝の想いは増す一方です。

ということで、感謝の気持ちが湧いてくるのは
僕にとっては、ごく当然のことであって、
否定しようのない事実です。

謙虚でも何でもない、と思います。

かって、過信して思い上がっていた時期もありましたが、
思えば、その頃は成長意欲に乏しかった気がします。

いい気になっている一方で、
さらに一歩踏み出す勇気がない自分も感じていました。

成長したいと本気で望んでいるんなら
思い上がりようがないんですよ。

世の中には、自分より優れた人はゴマンといますし
見習うことだらけです。

思い上がってるヒマがありません(笑)

自分に何かを感じさせてくれる人がいたり、
本や映画、音楽があったり、
そのことに感謝、感謝です。

団長は、自分を信じる心と感謝でできています。

ところで、喜多川さんは、今のような優れた人格に至るまでに
どんな変遷をたどってきたのでしょうか?

非~常~に気になります(笑)

一口に語れるもんではないとは存じますが、
ぜひお聞かせいただけると嬉しいです。

喜多川少年は、どんな人だったのでしょう?

よろしくお願いします。

2008年6月27日 (金)

6通目の手紙『自分を変える一番いい方法は?』by 喜多川

団長さん、読者のみなさん。
こんにちは、喜多川です。

前回の団長さんからの手紙は、本当に奥が深~い内容でしたね。
とりわけ、
「すべての活動のエネルギー源は、人に会うことです」
の一言は僕自身、自らの生き方を考える上で勉強になる一言です。
もちろん多くの人にも参考にして欲しい一言。さすがです。

そこで今日は僕も「人との出会い」について書いてみようと思います。
張り切ってまいりましょう!

僕の友人に、身長が190cmほどあって、
マンガの北斗の拳から出てきたような体格をしているアメリカ人がいます。
その友人が、日本にいるときには積極的に日本語を使おうとするんですが、
その日本語がちょっと変なんです。
見た目はムキムキなのに、言葉が女性的なんです。
理由は簡単。
日本の女の子は積極的に話しかけてくれてすぐ友達になれるけど、
男の人で話しかけてくる人がいなかったからだって言うんです。
つまり、女の人ばかりから教わったので
彼の日本語は女の人っぽくなってしまったというわけ。

僕たちは知らず知らずのうちに出会った人からすべてを教わって
自分というものを形成しています。
まったく影響を受けていないようで、知らないうちに強く影響を受けているんです。

僕は、一人の人間は言語に限らず、あらゆる面で
その人の周りにいる人たちの平均であるという考え方を持って生きています。

そう考えると、今の自分を変える一番いい方法は、
自分の周りにいる人、つまり自分が付き合って生きている人を変えるということになります。
これは確実に人生が変わります。
価値観やものの考え方などすべてが変わっていきます。
ただ、現実問題として、自分が関わって生きるすべての人を変えるのは難しいですよね。
ですから、常に新しい出会いのある毎日をもとめて、少しずつ変わっていくのが
誰にでもできる一番いい方法だと僕は思います。

例えば、あなたが一人の人と出会います。
あなたはあらゆる面でその人の影響を受けることになります。
そして、それらすべての面で少しだけ平均値が変わっていくのです。
あなたがいつも消極的な考え方をして生きている人だとすると、
もの凄く積極的な人と出会えば、その人のおかげで平均値が上がり、
少しだけ積極的になれる。
でも根本的に変わったわけではないので、また消極的な面が顔を出してくる。
トータルでいうと、以前よりは少しだけ積極的にはなったという結果になるわけです。
こういうことがあらゆる価値観について、
場合によっては収入や財産などについてもあてはまるわけです。

つまり、新しい出会いのない毎日は、自分を成長させるきっかけがない毎日であり、
新しい出会いの多い人生は、自分がドンドン成長できる人生であるといえます。
 
中高生が無気力になりがちなのは、ここに一つの原因があると僕は思っています。
小学生から中学生になったときには、親も驚くほど価値観や言動が変わったりするんですが、
中学校生活も半年もすると、そこから二年半は
周りの親や先生が何をどう言っても変わってくれないんですよね。
次に変わるチャンスがあるのは高校入学時です。
そこでもまたはじめの半年で、別人になったように大きく変わりますが
残りの二年半はなかなか大きく変わりません。
自ら行動を起こそうとしない大学生も同じ。
新しい出会いがなければ、四年間同じ価値観で、
いつも同じことで悩んだり、苦しんだりしているうちに大学生活が終わってしまいます。
ところが卒業後、仕事を始めて一ヶ月もしないうちに
学生時代にあれほど悩んでいたことで悩まなくなったりするんですよね。
当然新しい出会いにより、自分の周りにいる人がほとんど一新されて、
自分というものが新しくなるからです。
もちろん半年もすれば、自ら行動を起こさない人は出会いがなくなってしまうので
成長できなくなるという点では同じですが…

こうやって考えていくと、僕たちの人生というのは
誰と出会うかによって大きく変わると言えます。
いやむしろ、誰と出会うかが人生そのものであるとすら言えます。

僕は、何かに行き詰まったり、無気力になってしまっている人には
「素晴らしい出会いを求めて行動してみよう!」
と助言しています。
今の自分の属している世界には今の自分の問題を解決してくれるヒントがないかもしれませんが、
これから出会う、今までの自分とは関わりのなかった人が
その問題を簡単に解決してくれることだって少なくないのです。

それからもう一つ大切なこと…
それは、この考え方を理解すれば
相手を変えることなどできないということがわかるということです。

あなたのパートナーでも、会社の部下でも上司でもいい。
変わってくれればなぁと思う人がいるとします。
でもその人も、その人の周りにいる人の平均によって価値観やものの考え方ができています。
その人が付き合って生きている人がまったく変わらない状態では、
どんな話をしたところで、その人だけが変わるなんてことは起こらないのです。
平均値が変わらないからです。
その人に新しい出会いをもたらさない限り、
あなたが変わってほしい相手は変わることはできません。

そのことを理解せずに、
何とか話してわかってもらおう、説得して変わってもらおうとしても、
上手くいかずに苦しむばかりです。
そういう人に対しては、
とにかく新しい出会いの場を用意してあげるくらいしかできることはないのです。

もちろん、実はもう一つだけできることがあります。
もうお気づきですね。
あなた自身が変わることです。
その人にとって、あなたも周りにいる人の一人です。
ということは、あなたが大きく変われば、
あなたが変わってほしい人も少しだけ変わることができます。

「もっと、人の気持ちがわかる人になってほしいなぁ」
と思う相手がいるのなら、その人を変えようとするのではなく、
あなたが今まで以上に人の気持ちがわかる人になることによって、
その人の平均値が上がりますからね。
あなたの影響を受けて、少しではありますが、
確実に人の気持ちがわかる人になってくれます。

自分を磨いて生きる生き方は、自分のためだけじゃなく
自分と関わる人すべてを幸せにする生き方なんですね。
日頃からそう考えて生きる人は、これから出会う人に
「あなたと出会ったおかげで人生素敵に変わりました!」
と言ってもらえる人に自然となってしまいます。

僕も、昨日よりも今日のほうが素敵な人になれるよう日々自分を磨いています。

というわけで、今日はこの辺で…

実はもう一つ、団長さんの六通目の手紙を読んでいて
強く印象に残った言葉があるんですが…。
それは「感謝」という言葉。
本当に自然にいろんなものに感謝しながら生きていらっしゃるんだなぁということが
お手紙を拝読していて伝わってきます。
そう思って団長さんのお手紙を読み返してみると、ここ最近のテーマは
「出会った物、人、ことすべてに感謝して生きている」
というのが共通していることを発見してしまいました。
どうやってそんな謙虚な生き方を手に入れるに至ったのか興味があるところです。

団長さん!
ここは一つ「感謝」について熱く語っていただけませんか?
よろしくお願いします。

2008年6月24日 (火)

6通目の手紙『僕を支えてくれるのも、エネルギーの源になるのも、すべては「人」なんです』by 団長

喜多川さん、そして読者の皆さん!

ごきげんよう、団長です。

さっそくですが、

喜多川さんには、またまたやられてしまった気分です(笑)

「やりたいことが変わってしまう人と変わらない人について」、
非常に興味深く読ませていただきました。

一番グッときたのは、

“何年たっても変わらず同じことを続けられる人は
自分のやりたいことを見つけた人ではなく、
自分が他の誰かのためにできることを見つけた人”

というところです。

あぁ、そうか、そうかもしれない、なるほど~!

とPCの前で何度もうなずきまくってしまいました。

もし僕が同じお題について考えても
こんな見事な回答はできなかったと思います。

っていうか、変わらずやり続けているものを持ちながら、
その違いを考えたこともありませんでした。

う~ん、深い!!!

こんな発想のできる喜多川さんの頭の中を
こっそりのぞいてみたいものです(笑)

毎回勉強させてもらえて、ありがたい限りです。

いつもどうもありがとうございます!


今回も感謝パワーの勢いにのって
ドーンといきますね☆

“人生の目的(使命)を継続するエネルギーを得る方法があるか”

とのお題について、1つだけすぐさま思いつきました。

それは、

「 人に会うこと 」

です。

僕の全ての活動のエネルギー源は、人に会うことです。

直接であれ、ネットなどを介してであれ、
世界中の人とふれあえるのが、何よりの喜びです。

いくら音楽や本が大好きであっても
家で一人で楽しんでるだけでは
僕は満足できません。

音楽をやったり、本を読むことは
やりたいことを伝えたり、かなえるための手段であって
それ自体が目的ではないからです。

前回の手紙にも少しつながりますが、
音楽に出会う前の僕の夢は、実は

「 教師になること 」

でした。

小学生の頃から、教師になりたいと思って
大学生まで過ごしてきました。

なぜ教師になりたかったのかというと、
自分の身近にいる中で一番カッコイイと思える大人が
先生だったからです。

僕自身、何度も道を踏み外しかけたときに
いろんな先生に救ってもらった、という自覚が
明確にあり、自分もそんな人になりたい、と思いました。

ので、国語や数学が好きだからとか、
得意だから教えたいとか、そういう動機ではなく、
僕のような子どもを救ったり、
人生の面白さを伝えていきたい、というのが一番の根本でした。

高校生くらいになると、教師と同時に
カウンセラーという職にも興味を持ち始めました。

理由はカンタンで
自分が悩みまくってたからです(笑)

今考えればどうっていうことでもないんですが、
当時はとにかく苦しかったですし、
不安だらけでした。

自分と同じように、
いや、それ以上に悩んだり苦しんでる人がいるだろうから
そんな人たちの力になりたい、と
いつからか思うようになりました。


初志貫徹して教師になるか、
思い切ってカウンセラーに挑戦してみるか・・・

迷いを抱えたまま、大学生活を送り始めました。

とりあえず、どっちにもなれる状態をつくっておけば
最終的には、なるようになるだろう、と。

そんなことをずーっと考えていたにも関わらず、
最終的に決めたのは、全く畑違いの
アーティストという道でした(笑)


この選択の結果だけを見ると、
あぁ人生ってわからない、ほんと不思議!
と思いますが、
実は、何も変わってなかったんです。

あるとき、ふと気づきました。

なぜ音楽に決めたのかといえば
理屈抜きに面白かったのが一番でしたが、
最終的な決意を強固にしたのは、
僕の中で

「 音楽=教師+カウンセラー 」

みたいなものかもしれない、と思ったからなんですよ。

教師のように何かを伝えたり、人を笑顔にすることもでき、
カウンセラーのように、心を救うこともできる。

それも大人数に対して、ごく自然に。

あぁ、これは偶然のようであり、必然だったのかも、と思いました。

教師とカウンセラーのどちらか1つだけを選ぶことなく、
両方かなえられる天命をいただいた、と(笑)

ですんで、見た目こそ全然違ってしまいましたが、
なにげに、初志貫徹同然ということに気づきました。

心の深い部分での動機としては、
喜多川さんのおっしゃるとおり、
他の誰かのためにできることを見つけられたんだと思います。

そしてそれは、他の誰かのためだけでなく、
他ならぬ自分のためでもあるわけで
これ以上望むことは何もありません。

世間から見たら、大学まで出てこんなイバラの道を歩まなくても…

と思われるかもしれませんが、
僕にとっては最高の幸せであり、天命です。

あとは、とことんやるだけです!

大好きなことをやっていても
心が萎えそうになるときは、もちろんありますが
そんなとき、「人」が何よりの支えになります。

笑顔、言葉、生き様…

人からいただくパワーというのは絶大なもので、
一瞬にしてマイナス500が、プラス10000くらいになったりします(笑)

本当にいつも助けていただいてばかりで
感謝の気持ちでいっぱいです。

少しでも恩返しできるよう、
また次代に恩送りしていけるよう、
自分にできること全てで貢献していけたら、と思っています。

おっと、すっかり熱くなってしまいました!

喜多川さん、助けてください(笑)

後は任せました~!

よろしくお願いします。